のんびり大学院生の日常

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情報化社会コミュニケーション

これからのコミュニケーションを考えていく上で大きく3つの要点がある。

第一に科学技術を考慮した通信の歴史としての側面、次に社会の流れを含む社会的側面、最後に以上2つの社会と科学技術との相互の関わりを考慮した側面。

これらの3つに大分される。現在、そしてこれから先の未来のコミュニケーションを考える上で重要なのが過去のコミュニケーションの歴史。初期段階としては口から発せられる言葉による「会話」による情報伝達方法から、文字を使用した書面、手紙と発展し現在主に用いられる無線通信技術(信号、アンテナなど)へと発展していった。この発達によって通信の対象のベクトルが大きく変わった。初期段階では情報の発信者と受け手として11の対応が主であったが、通信手段の発展によって発信者1に対して情報の受け手として無数の可能性が生まれた。

具体例としては、テレビやインターネットなどのメディアである。また無線通信技術の発達は直接のコミュニケーションを必要としていた初期段階とは異なり間接的な伝達が可能となった。圧倒的に機能性に満ちている現在のコミュニケーションにもデメリットがある。それは情報の利用に関してのモラルなどがあげられる。

今後のコミュニケーションの課題として、情報の伝達技術、利用の仕方、情報に関する法整備などコミュニケーションが機能不全にならないような開発が必要である。

また神経科学の脳の機能についてである。脳の構造などは実際複雑すぎて理解できるものではないが、脳が機能する上でどのように働いているのか興味が前々からあった。視界とは何なのか。外界を知覚するとは何なのか。この疑問の問いかけが聞いていて興味をそそられた。我々が見ているものと脳が知覚して自身に伝えている情報は完全に一致しない。つまり錯覚を見ているのと同じであるという点についてはとても感心してしまった。外界の情報を脳の中にインプットした後、その情報は再構築される。 

これが先ほどの理由なのだ。これらを顕著に表すのがゲシュタルト心理学である、ゲシュタルト心理学において知覚とは個々の感覚刺激により形成されるものではなく、個々にはもたらされない大きな枠の中で形成されるものである。これをゲシュタルト性質という。こういった反応の構造の形成は経験がものを言うらしく主に青年期に大まかに形作られてしまうらしい。しかし私は経験の長期間の継続的積み重ねはこういった科学的な事実を覆してくれるものであると考えている。生命の発達をすべて根拠から論理的に説明できてしまうのもつまらないと思うからだ。